恵信尼消息(書き下し文)

恵信尼消息

(1)

 去年の十二月一日の御文、同二十日あまり​に、たしかに​み候ひ​ぬ。​なに​より​も殿(親鸞)の御往生、なかなか​はじめて申す​に​およば​ず候ふ。

 山を出で​て、六角堂に百日篭ら​せたまひ​て、後世を​いのら​せたまひ​ける​に、九十五日のあか月、聖徳太子の文を結び​て、示現に​あづから​せたまひ​て候ひ​けれ​ば、やがて​その​あか月出で​させたまひ​て、後世の​たすから​んずる縁に​あひ​まゐらせ​んと、たづね​まゐらせ​て、法然上人に​あひ​まゐらせ​て、また六角堂に百日篭ら​せたまひ​て候ひ​ける​やう​に、また百か日、降る​にも照る​にも、いかなるたいふにも、まゐり​て​あり​し​に、ただ後世の​こと​は、よき人にも​あしき​にも、おなじ​やう​に、生死出づ​べき道をば、ただ一すぢ​に仰せ​られ候ひ​し​を、うけたまはり​さだめて候ひ​しかば、「上人の​わたら​せたまは​ん​ところ​には、人は​いかにも申せ、たとひ悪道に​わたら​せたまふ​べし​と申す​とも、世々生々にも迷ひ​けれ​ば​こそ​あり​けめ、と​まで思ひ​まゐらする身なれば」と、やうやうに人の申し候ひ​し​とき​も仰せ候ひ​し​なり。

 さて常陸の下妻と申し候ふ​ところ​に、さかいの郷と申す​ところ​に候ひ​し​とき、夢を​み​て候ひ​し​やう​は、堂供養か​と​おぼえ​て、東向き​に御堂は​たち​て候ふ​に、しんがく​と​おぼえ​て、御堂の​まへ​にはたてあかし​しろく候ふ​に、たてあかし​の西に、御堂の​まへ​に、鳥居の​やう​なる​に​よこさま​に​わたり​たる​もの​に、仏を掛け​まゐらせ​て候ふ​が、一体は、ただ仏の御顔にて​は​わたら​せたまは​で、ただ​ひかり​の​ま中、仏の頭光の​やう​にて、まさしき御かたち​は​みえ​させたまは​ず、ただ​ひかり​ばかり​にて​わたら​せたまふ。

いま一体は、まさしき仏の御顔にて​わたら​せたまひ候ひ​しかば、「これ​は​なに仏にて​わたら​せたまふ​ぞ」と申し候へ​ば、申す人は​なに人とも​おぼえ​ず、「あの​ひかり​ばかり​にて​わたら​せたまふ​は、あれ​こそ法然上人にて​わたら​せたまへ。勢至菩薩にて​わたら​せたまふ​ぞかし」と申せ​ば、「さて​また、いま一体は」と申せ​ば、「あれ​は観音にて​わたら​せたまふ​ぞかし。あれ​こそ善信の御房(親鸞)よ」と申す​と​おぼえ​て、うちおどろき​て候ひ​し​にこそ、夢にて候ひ​けり​とは思ひ​て候ひ​し​か。

さ​は候へ​ども、さやう​の​こと​をば人にも申さ​ぬ​と​きき候ひ​し​うへ、尼(恵信尼)が​さやう​の​こと申し候ふ​らん​は、げにげにしく人も思ふ​まじく候へ​ば、てんせい、人にも申さ​で、上人(法然)の御こと​ばかり​をば、殿に申し​て候ひ​しかば、「夢にはしなわい​あまた​ある​なか​に、これ​ぞ実夢にて​ある。上人をば、所々に勢至菩薩の化身と、夢にも​み​まゐらする​こと​あまた​あり​と申す​うへ、勢至菩薩は智慧の​かぎり​にて、しかしながら光にて​わたら​せたまふ」と候ひ​しかども、観音の御事は申さ​ず候ひ​しかども、心ばかり​は​その​のちうちまかせ​ては思ひ​まゐらせ​ず候ひ​し​なり。かく御こころえ候ふ​べし。

 されば御りんずはいかにも​わたら​せたまへ、疑ひ思ひ​まゐらせ​ぬ​うへ、おなじ​こと​ながら、益方も御りんずに​あひ​まゐらせ​て候ひ​ける、親子の契り​と申し​ながら、ふかく​こそ​おぼえ候へ​ば、うれしく候ふ、うれしく候ふ。

 また​この国は、去年の作物、ことに損じ候ひ​て、あさましき​こと​にて、おほかた​いのち生く​べし​とも​おぼえ​ず候ふ​なか​に、ところ​ども​かはり候ひ​ぬ。一ところ​なら​ず、益方と申し、また​おほかた​は​たのみ​て候ふ人の領ども、みな​かやうに候ふ​うへ、おほかた​の世間も損じ​て候ふ​あひだ、なかなか​とかく申し​やるかた​なく候ふ​なり。

かやうに候ふ​ほど​に、年ごろ候ひ​つる奴ばら​も、男二人、正月うせ候ひ​ぬ。なに​と​して、物をも作る​べき​やう​も候は​ねば、いよいよ世間たのみ​なく候へ​ども、いくほど生く​べき身にて​も候は​ぬ​に、世間を心ぐるしく思ふ​べき​にも候は​ね​ども、身一人にて候は​ねば、これら​が、あるいは親も候は​ぬ小黒女房の女子、男子、これ​に候ふ​うへ、益方が子ども​も、ただ​これ​に​こそ候へ​ば、なに​と​なく母めき​たる​やう​にて​こそ候へ。いづれ​も​いのち​も​あり​がたき​やう​に​こそ​おぼえ候へ。

 この文ぞ、殿の比叡の山に堂僧つとめ​て​おはしまし​ける​が、山を出で​て、六角堂に百日篭ら​せたまひ​て、後世の​こと​いのり​まうさ​せたまひ​ける九十五日の​あか月の御示現の文なり。御覧候へ​とて、書き​しるし​て​まゐらせ候ふ。

(2)

 「ゑちご​の御文にて候ふ」

 この文を書き​しるし​て​まゐらせ候ふ​も、生き​させたまひて候ひ​し​ほど​は、申し​て​も要候はねば申さ​ず候ひ​しか​ど、いま​は​かかる人にて​わたらせ​たまひ​けり​とも、御心ばかり​にも​おぼしめせ​とて、しるし​て​まゐらせ候ふ​なり。よく書き候は​ん人に​よく書か​せ​て、もち​まゐらせ​たまふ​べし。

 また​あの御影の一幅、ほしく思ひ​まゐらせ候ふ​なり。幼く、御身の八つ​にて​おはしまし候ひ​し年の四月十四日より、かぜ大事に​おはしまし候ひ​しとき​の​ことども​を書き​しるし​て候ふ​なり。

 今年は八十二に​なり候ふ​なり。一昨年の十一月より去年の五月まで​は、いま​や​いま​や​と時日を待ち候ひ​しかども、今日まで​は死な​で、今年の飢渇にや飢死も​せ​んずらん​と​こそ​おぼえ候へ。かやう​の便り​に、なに​も​まゐらせ​ぬ​こと​こそ、心もと​なく​おぼえ候へ​ども、ちから​なく候ふ​なり。

 益方殿にも、この文を​おなじ心に御伝へ候へ。もの書く​こと​ものうく候ひ​て、別に申し候は​ず。

 「弘長三年癸亥」

   二月十日

(3)

善信の御房(親鸞)、寛喜三年四月十四日午の時ばかり​より、かざ心地すこし​おぼえ​て、その夕さり​より臥し​て、大事に​おはします​に、腰・膝を​も打た​せず、6てんせい、看病人をも​よせ​ず、ただ音も​せ​ず​して臥し​て​おはしませ​ば、御身を​さぐれ​ば、あたたかなる​こと火の​ごとし。頭の​うた​せたまふ​こと​も​なのめならず。

 さて臥し​て四日と申す​あか月、くるしき​に、「まは​さて​あら​ん」と仰せ​らるれ​ば、「なに​ごと​ぞ、たはごと​とかや申す​こと​か」と申せ​ば、「たはごと​にて​も​なし。臥し​て二日と申す日より、大経を​よむ​こと​ひま​も​なし。たまたま目を​ふさげ​ば、経の文字の一字も残ら​ず、きららかに​つぶさに​みゆる​なり。

さて​これ​こそ​こころえ​ぬ​こと​なれ。念仏の信心より​ほか​には、なにごと​か心に​かかる​べき​と思ひ​て、よくよく案じ​て​みれ​ば、この十七八年が​その​かみ、げにげにしく三部経を千部よみ​て、すざう利益の​ため​に​とて、よみ​はじめ​て​あり​し​を、これ​は​なにごと​ぞ、自信教人信 難中転更難(礼讃)とて、みづから信じ、人を教へ​て信ぜ​しむる​こと、まこと​の仏恩を報ひ​たてまつる​もの​と信じ​ながら、名号の​ほか​には​なにごと​の不足にて、かならず経を​よま​ん​と​する​や​と思ひ​かへし​て、よま​ざり​し​こと​の、されば​なほ​も​すこし残る​ところ​の​あり​ける​や。

人の執心、自力の​しんは、よくよく思慮ある​べし​と​おもひなして​のち​は、経よむ​こと​は​とどまり​ぬ。

さて臥して四日と申す​あか月、まは​さて​あら​んとは申す​なり」と仰せ​られ​て、やがて汗垂り​て、よく​なら​せたまひ​て候ひ​し​なり。

 三部経、げにげにしく千部よま​ん​と候ひ​し​こと​は、信蓮房の四つの歳、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申す​ところ​にて、よみ​はじめ​て、四五日ばかり​あり​て、思ひ​かへし​て、よま​せたまは​で、常陸へ​はおはしまし​て候ひ​し​なり。

 信蓮房は未の年三月三日の昼生れ​て候ひ​しかば、今年は五十三やらんとぞ​おぼえ候ふ。

  弘長三年二月十日                 恵信

(4)

 御文の​なか​に、先年に、寛喜三年の四月四日より病ま​せたまひ​て候ひ​し​とき​の​こと、書き​しるし​て、文の​なか​に入れ​て候ふ​に、その​とき​の日記には、四月の十一日の​あか月、「経よむ​こと​は、まは​さて​あら​ん」と仰せ候ひ​し​は、やがて四月の十一日の​あか月と​しるし​て候ひ​ける​に候ふ。それ​を数へ候ふ​には八日に​あたり候ひ​ける​に候ふ。四月の四日より​は八日に​あたり候ふ​なり。

  わかさ殿申さ​せたまへ               ゑしん

(5)

 もし便り​や候ふ​とて、ゑちうへ​この文は​つかはし候ふ​なり。さても一年、八十と申し候ひ​し年、大事のそらうを​して候ひ​し​にも、八十三の歳ぞ一定と、もの​しり​たる人の文ども​にも、おなじ心に申し候ふ​とて、今年は​さる​こと​と思ひ​きり​て候へ​ば、生き​て候ふ​とき、卒都婆を​たて​て​み候は​ばや​とて、五重に候ふ石の塔を、丈七さくに​あつらへ​て候へ​ば、塔師造る​と申し候へ​ば、いで​き​て候は​ん​に​したがひ​て​たて​て​み​ばや​と思ひ候へ​ども、去年の飢渇に、なに​も、益方の​と、これ​の​と、なに​と​なく幼き​もの​ども、上下あまた候ふ​を、殺さ​じ​と​し候ひ​し​ほど​に、もの​も着ず​なり​て候ふ​うへ、しろき​もの​を一つ​も着ず候へ​ば、(以下欠失)

 一人候ふ。またおと法師と申し候ひ​し童をば、とう四郎と申し候ふ​ぞ。それ​へ​まゐれ​と申し候ふ。さ御こころえ​ある​べく候ふ。けさが娘は十七に​なり候ふ​なり。さて、ことりと申す女は、子も一人も候は​ぬ​とき​に、七つ​に​なり候ふ女童を​やしなは​せ候ふ​なり。それ​は親に​つき​て​それ​へ​まゐる​べく候ふ​なり。よろづ尽し​がたく​て、かたく​て、とどめ候ひ​ぬ。

あなかしこ、あなかしこ。

(6)

 便り​を​よろこび​て申し候ふ。たびたび便には申し候へ​ども、まゐり​て​や候ふ​らん。

 今年は八十三に​なり候ふ​が、去年・今年は死年と申し候へ​ば、よろづ​つねに申しうけ​たまはり​たく候へ​ども、たしかなる便り​も候は​ず。

 さて生き​て候ふ​とき​と思ひ候ひ​て、五重に候ふ塔の、七尺に候ふ石の塔を​あつらへ​て候へ​ば、この​ほど​は仕いだす​べき​よし申し候へ​ば、いま​は​ところ​ども​はなれ候ひ​て、下人ども​みな逃げ​うせ候ひ​ぬ。よろづ​たよりなく候へ​ども、生き​て候ふ​とき、たて​て​も​み​ばや​と思ひ候ひ​て、このほど仕いだし​て候ふ​なれば、これ​へ持つ​ほど​に​なり​て候ふ​と​きき候へ​ば、いかに​して​も生き​て候ふ​とき、たて​て​み​ばや​と思ひ候へ​ども、いかやうに​か候は​んずらん。その​うち​にも、いかに​も​なり候は​ば、子ども​も​たて候へ​かし​と思ひ​て候ふ。

 なにごと​も、生き​て候ひ​し​とき​は、つねに申しうけ​たまはり​たく​こそ​おぼえ候へ​ども、はるばる​と雲の​よそ​なる​やう​にて候ふ​こと、まめやかに親子の契り​も​なき​やう​にてこそ​おぼえ候へ。こと​には末子にて​おはしまし候へ​ば、いとほしき​こと​に思ひ​まゐらせ​て候ひ​しかども、み​まゐらする​まで​こそ候は​ざら​め。つねに申し​うけたまはる​こと​だにも候は​ぬ​こと、よに心ぐるしく​おぼえ候ふ。

 「文永元年甲子」

   五月十三日

 ぜんあく、それ​へ​の殿人ども​は、もと候ひ​しけさと申す​も、娘うせ候ひ​ぬ。いま​それ​の娘一人候ふ。母め​もそらうもの​にて候ふ。さて、おと法師と申し候ひ​し​は、男に​なり​て、とう四郎と申す​と、また女の童のふたばと申す女の童、今年は十六に​なり候ふ女の童は、それ​へ​まゐらせ​よ​と申し​て候ふ​なり。なにごと​も御文に尽し​がたく候ひ​て​とどめ候ひ​ぬ。またもとより​のことり、七つ子やしなは​せ​て候ふ​も候ふ。

   五月十三日(花押)

 これ​は​たしかなる便り​にて候ふ。ときに、こまかに​こまかに申し​たく候へ​ども、ただいま​とて、この便り​いそぎ候へ​ば、こまかならず候ふ。また​このゑもん入道殿の御ことば​かけ​られ​まゐらせ​て候ふ​とて、よろこび申し候ふ​なり。この便り​は​たしかに候へ​ば、なにごと​も​こまかに仰せ​られ候ふ​べし。あなかしこ。

(7)

 便り​を​よろこび​て申し候ふ。

 さては去年の八月の​ころ​より、とけ腹の​わづらはしく候ひ​し​が、こと​に​ふれ​て​よく​も​なり得ず候ふ​ばかり​ぞ、わづらはしく候へ​ども、その​ほか​は年の故にて候へ​ば、いま​は耄れ​てさうたいなく​こそ候へ。今年は八十六に​なり候ふ​ぞかし、寅の年の​ものにて候へ​ば。

 また​それ​へ​まゐらせ​て候ひ​し奴ばら​も、とかく​なり候ひ​て、ことりと申し候ふ年ごろ​の​やつ​にて、三郎たと申し候ひ​し​が​あひ具して候ふ​が、入道に​なり候ひ​て、さいしんと申し候ふ。入道め​にはち​ある​もの​の​なか​の、むま​のぜうとかや申し​て御家人にて候ふ​もの​の娘の、今年は十やらん​に​なり候ふ​を、母はよ​におだしく​よく候ひ​し、かがと申し​て​つかひ候ひ​し​が、一年の温病の年死に​て候ふ。親も候は​ね​ば、ことりも子なき​もの​にて候ふ。とき​に​あづけ​て候ふ​なり。

 それ​また、けさと申し候ひ​し娘の、なでしと申し候ひ​し​が、よに​よく候ひ​し​も、温病に​うせ候ひ​ぬ。その母の候ふ​も、年ごろ、頭に腫物の年ごろ候ひ​し​が、それ​も当時大事にて、たのみなき​と申し候ふ。その娘一人候ふ​は、今年は二十に​なり候ふ。それ​とことり、またいとく、またそれ​に​のぼり​て候ひ​し​とき、おと法師とて候ひ​し​が、このごろ、とう四郎と申し候ふ​は​まゐらせ​ん​と申し候へ​ば、父母うちすて​て​は​まゐら​じ​と、こころ​には申し候ふ​と申し候へ​ども、それ​は​いかやう​にも​はからひ候ふ。

かく​ゐ中に人に​み​を入れ​て代り​を​まゐらせ​ん​とも、栗沢(信蓮房)が候は​んず​れば申し候ふ​べし。ただし代り​は​いくほど​かは候ふ​べき​とぞ​おぼえ候ふ。これら​ほど​の男は世にすくなく申し候ふ​なり。

 また小袖たびたび​たまはり​て候ふ。うれしさ、いま​はよみぢ小袖にて衣も候は​んずれ​ば、申す​ばかり候は​ず、うれしく候ふ​なり。いま​は尼(恵信尼)が着て候ふ​もの​は、最後の​とき​の​こと​はなし​ては思は​ず候ふ。いま​は時日を待つ身にて候へ​ば。

 また​たしかなら​ん便に、小袖賜ぶ​べき​よし仰せ​られ​て候ひ​し。このゑもん入道の便り​は、たしかに候は​んずらん。また宰相殿は、あり​つき​て​おはしまし候ふ​やらん。よろづ公達の​こと​ども、みな​うけたまはり​たく候ふ​なり。尽し​がたく​て​とどめ候ひ​ぬ。

あなかしこ、あなかしこ。

  九月七日

 またわかさ殿も、いま​は年すこし寄り​て​こそ​おはしまし候ふ​らめ。あはれ、ゆかしく​こそ思ひ候へ。年寄り​ては、いかがしく​み​て候ふ人も、ゆかしく​みたく​おぼえ候ひ​けり。かこのまへの​こと​の​いとほしさ、上れんばうの​こと​も思ひ​いで​られ​て、ゆかしく​こそ候へ。

あなかしこ、あなかしこ。

                    ちくぜん

  わかさ殿申させ​たまへ            とひたのまき​より

(8)

「わかさ殿」

 便り​を​よろこび​て申し候ふ。

 さては今年まで​ある​べし​と思は​ず候ひ​つれ​ども、今年は八十七やらん​に​なり候ふ。寅の年の​もの​にて候へ​ば、八十七やらん八やらん​に​なり候へ​ば、いま​は時日を待ち​て​こそ候へ​ども、年こそ​おそろしく​なり​て候へ​ども、しはぶく​こと候は​ね​ば、唾など吐く​こと候は​ず。腰・膝打たする​と申す​こと​も当時まで​は候は​ず。ただ犬の​やう​にて​こそ候へ​ども、今年に​なり候へ​ば、あまりに​ものわすれ​を​し候ひ​て、耄れたる​やう​に​こそ候へ。

 さても去年より​は、よに​おそろしき​ことども​おほく候ふ​なり。

 またすかいの​もの​の便り​に、綾の衣賜び​て候ひ​し​こと、申す​ばかり​なく​おぼえ候ふ。いまは時日を待ち​て居て候へ​ば、これ​を​や最後にて候は​んずらん​と​のみ​こそ​おぼえ候へ。当時まで​も​それ​より賜び​て候ひ​し綾の小袖を​こそ、最後の​とき​の​と思ひ​て​もち​て候へ。よに​うれしく​おぼえ候ふ。衣の表も、いまだ​もち​て候ふ​なり。

 また公達の​こと、よに​ゆかしく、うけたまはり​たく候ふ​なり。上の公達の御こと​も、よに​うけたまはり​たく​おぼえ候ふ。あはれ、この世にて​いま一度み​まゐらせ、また​みえ​まゐらする​こと候ふ​べき。わが身は極楽へ​ただいま​に​まゐり候は​んずれ。なにごと​も​くらから​ず、みそなはし​まゐらす​べく候へ​ば、かまへて御念仏申さ​せたまひ​て、極楽へ​まゐり​あはせ​たまふ​べし。なほなほ極楽へ​まゐり​あひ​まゐらせ候は​んずれ​ば、なにごと​も​くらから​ず​こそ候は​んずれ。

 また​この便は、これ​に​ちかく候ふみこ​の甥とかや​と申す​もの​の便に申し候ふ​なり。あまりに​くらく候ひ​て、こまかならず候ふ。また​かまへて​たしかなら​ん便り​には、綿すこし賜び候へ。をはりに候ふ、ゑもん入道の便り​ぞ、たしか​の便り​にて候ふ​べき。それ​も​この​ところ​にまゐること​の候ふ​べき​やらん​と​きき候へ​ども、いまだ披露せ​ぬ​こと​にて候ふ​なり。

 またくわうず御前の修行に下る​べき​とかや仰せ​られ​て候ひ​しかども、これへ​は​みえ​られ​ず候ふ​なり。

 またわかさ殿のいま​は​おとなしく年寄り​て​おはし候ふ​らん​と、よに​ゆかしく​こそ​おぼえ候へ。かまへて、念仏申して極楽へ​まゐり​あはせ​たまへ​と候ふ​べし。

 なにより​も​なにより​も公達の御こと、こまかに仰せ候へ。うけたまはり​たく候ふ​なり。一昨年やらん生れ​て​おはしまし候ひ​ける​と​うけたまはり候ひ​し​は、それ​も​ゆかしく思ひ​まゐらせ候ふ。

 また​それ​へ​まゐらせ候は​ん​と申し候ひ​し女の童も、一年の大温病に​おほく​うせ候ひ​ぬ。ことりと申し候ふ女の童も、はや年寄り​て候ふ。父は御家人にてむまのぜうと申す​もの​の娘の候ふ​も、それ​へ​まゐらせ​ん​とて、ことりと申す​に​あづけ​て候へ​ば、よに無道げに候ひ​て、髪など​も、よに​あさましげ​にて候ふ​なり。ただ​の童にて、いまいましげ​にて候ふ​めり。

 けさが娘のわかばと申す女の童の、今年は二十一に​なり候ふ​が妊み​て、この三月やらん​に子産む​べく候へ​ども、男子ならば父ぞ取り候は​んずらん。さき​にも五つ​に​なる男子産み​て候ひ​しかども、父相伝にて、父が取りて候ふ。これ​も​いかが候はんずらん。わかばが母は、頭に​なに​やらん​ゆゆしげなる腫物の​いでき候ひ​て、はや十余年に​なり候ふ​なる​が、いたづらもの​にて、時日を待つ​やう​に候ふと申し候ふ。

 それ​に上り​て候ひ​し​をり、おと法師とて童にて候ひ​し​が、それ​へ​まゐらす​べき​と申し候へ​ども、妻子の候へ​ば、よも​まゐら​ん​とは申し候は​じ​と​おぼえ候ふ。尼(恵信尼)がりんずし候ひ​なん​のち​には、栗沢(信蓮房)に申し​おき候は​んずれ​ば、まゐれ​と仰せ候ふ​べし。

 また栗沢はなにごと​やらん、のづみ​と申す山寺に不断念仏はじめ候は​んずる​に、なに​と​やらん撰じ​まうす​こと​の候ふ​べき​とか​や申す​げ​に候ふ。五条殿の御ため​に​と申し候ふ​めり。

 なにごと​も申し​たき​こと​おほく候へ​ども、あか月、便り​の候ふ​よし申し候へ​ば、夜書き候へ​ば、よに​くらく候ひ​て、よも御覧じ得候は​じ​とて、とどめ候ひ​ぬ。

 また針すこし賜び候へ。この便にて​も候へ。御文の​なか​に入れ​て賜ぶ​べく候ふ。なほなほ公達の御こと、こまかに仰せ​たび候へ。うけたまはり候ひ​て​だに​なぐさみ候ふ​べく候ふ。よろづ尽し​がたく候ひ​て、とどめ候ひ​ぬ。

 またさいさう殿、いまだ姫君にて​おはしまし候ふ​やらん。

 あまりに​くらく候ひ​て、いかやうに書き候ふ​やらん、よも御覧じ得候は​じ。

  三月十二日亥の時

(a)

もん​ぞ​も​やか​せ給て​や候らん​とて​申候。それ​へ​まいる​べき​もの​は、けさ​と申候め​の​わらは、とし​さん十六。又その​むすめ​なでし​と申候は、ことし十六。又九に​なり候むすめ​と、おや子さんにん候也。又はつね、その​むすめ​の​いぬまさ、ことし十二。又ことり​と申おんな、とし​さん十四。又あんとうし​と申おとこ。さて、けさ​が​ことし​みつ​に​なり候おのこゞは、人の下人に​ぐし​て​うみ​て候へ​ば、ちゝをや​に​とら​せて候也。

おほかた​は、人の下人に、うち​の​やつばら​の​ぐし​て候は、よに​ところせき事にて候也。

已上、合、おんな六人、おとこ一人、七人也。

   けんちやう八ねん​ひのえ​たつ​の​とし七月九日 (花押)

(b)

わうごぜん​に​ゆづり​まいらせ​て候し下人ども​の​せうもん​を、せうまうに​やか​れ​て候よし​おほせ​られ​さふらへ​ば、はじめ​たより​に​つけ​て申て候しかども、たしかに​や候は​ざる​らん​とて、これ​は​たしかの​たより​にて候へ​ば申さふらふ。

まいらせ​て候し下人、けさ​おんな。おなじき​むすめ​なでし、めならは、とし十六。その​おとゝいぬわう、め​の​わらは、とし九。又まさ​おんな、おなじき​むすめ​いぬまさ、とし十二。その​おとゝ、とし七。又ことり​おんな。又あんとうし、おとこ。已上、合、大小八人なり。これら​は​こと​あたらしく、たれか​はじめて​とかく申さふらふ​べき​なれども、げす​は​しぜん​の事も候は​ん​ため​にて候也。

   けんちやう八ねん九月十五日        ゑしん(花押)

  わうごぜん​へ

又いづも​が​こと​は、にげ​て候し​のち​は、さうたいなき事にて候うへ、子一人も候は​ぬ​うへ、そらう​の​もの​にて候が、けふ​とも​しら​ぬ​もの​にて​さふらへ​ども、おとゝしその​やう​は申て、物まいらせ​て候しかば、さだめて御心へ​は候らむ、御わすれ候べから​ず候。あなかしこ、あなかしこ。

                      (花押)

いま​は、あまり​とし​より候て、て​も​ふるへ​て、はん​など​も​うるはしく​は​し​へ候は​じ、されば​とて御ふしん​は​ある​べから​ず候。

                      (花押)